マスクで「ブサイク」になる…

テレビなどを観て、こんな経験はありませんか? ニュース番組の新人アナが、なんとも言えず素人臭くて場違い感満載。「こんな地味な子に、番組が務まるの?」と疑問に感じたのに、半年後に気がついたら随分アカ抜けして、番組が板に付いて輝いている。これは、人間が注目を浴びることによって磨かれる『ホーソン効果』という現象です。スタジオでは、まわりからたくさんの視線や光を日々浴びることになりますから、結果的にどんどん美しく磨かれていくというワケ。

マスクが日常になって3年近くになります。近頃は、マスクを付けた自分の顔が気に入っているとか、マスクを取るのが恥ずかしいという理由で、人前ではマスクを外さない人が増えています。となると、その人のマスクの下は視線や光を浴びず、徐々に「劣化」し、「ブサイク」へ変化していきます。そんなことを何年も続けていると、取り返しのつかない「恐ろしい事態」になってしまうかもしれません。まずは、鏡の前で自分の顔をチェックしてみてください。

海外では、ほとんどマスクをしていないのをご存知ですよね? 政府もようやく、「屋外ではマスクを外してください!」と国民に呼びかけるようになりました。自分の顔に誇りを持って、思い切ってマスクをリリースしましょう! 手遅れになってしまう前に…。(^^ゞ

「村八分」の由来

「村八分」という言葉はご存知でも、その由来はあまり知られていないのではないでしょうか?

村八分は、江戸時代に村のルールを破った者に対して行われた懲らしめで、村の「十分」ある交際の内、「冠・婚礼・出産・病気・建築・水害・年忌・旅行」の「八分」を断絶するという意味から生まれました。そのような状況でも、交際を続けた残りの「二分」は、「葬式・火事」。火事や家族の死は人生最大の難苦であり、この二分までを絶つことは、人道的にも許されなかったのでしょう。

非難炎上を承知の上で申し上げます! 昨今、一部の左翼活動家による安倍元首相の「国葬反対」という大きな声を、テレビ・新聞等のメディアが取り上げて大々的に報道し、その声に世論までが動かされようとしています。憲政史上最長の8年8か月間首相を務めた安倍さんが、暗殺という形で非業の死を遂げたことは事実です。なのに、本人が望んだわけでもない国葬が理由で、もう反論ができない死者に鞭打つような理不尽な攻撃は、この上なく卑怯な振る舞いとしか考えられません。村八分のように、善悪にかかわらず死者の魂には畏怖の念を抱くことが日本の慣わしでした。死者を敬い、葬儀は静かにしめやかに見守るのが日本人の心なのでは。「東京五輪は反対、上海五輪はスルー」の活動も同じ。意味不明だと思うのは私だけでしょうか?