「体罰」について考える【代表北村の教育ちょこっとコラム】

昨今、学校現場やスポーツ指導においての「体罰」が、マスコミや政府などで大きくクローズアップをされていますが、ひとくくりに「体罰」と言っても、そのとらえ方は人によってさまざまです。
私は、小学校で先生に叩かれた経験は星の数ほど。中学校時代は、絶対に叩かないと言われていた先生から、思いっきり平手打ちで叱られたこともあります。でも、そのことでその先生を恨んだことは一度もありません。むしろ叩かれて、「自分は気にかけてもらっている」という喜びを感じ、今でもその苦い経験は「良き思い出」として自分自身の記憶に残っています。(叩かれたい趣味はありませんので誤解なく…(笑)
体罰について言うと、例えは悪いですが「セクハラ」と似た性質を持っているのでは考えます。セクハラは、行う相手によって、セクハラであったりなかったりするというたいへん曖昧なもの。その違いは、「心が通っているかいないか」の一言に尽きるのではないでしょうか。
電車の中で、足を踏まれるととても痛い。でも、その相手が親友だと知った瞬間、「ゴメン!」の一言でその痛みは消えてしまう。つまり、痛みは皮膚で感じるのではなくて、「心」で感じるものなのです。「大丈夫?」といたわりながら背中をさするのは、無意識にその人の心(ハート)をかばっている証ではないでしょうか?
私たち指導者は、何でもかんでも「体罰」と騒ぐのではなく、その前に「心の通った指導ができているか」をしっかりと考えて行動する必要があると思います。