人生何とかなる!

「お天気おじさん」で検索すると、最初に出てくる福井敏雄さん。徳島弁の生真面目キャラが大人気で天気予報や数々のバラエティ番組等で活躍…。初めて出会ったのは1989年の春。当時、私は大阪の塾で週6日の授業と開発・企画の仕事を担当。ある日、「塾の講演会をして、お天気おじさんに講演してもらおう!」という提案が挙がりました。その当時の福井さんは、テレビだけでも『探偵!ナイト…』、『おれたちひょうきん…』、『笑っていい…』など、超人気番組の多数のレギュラーで、塾の講演会などを受けてもらえる見込みは皆無でしたが、若気の至りで、無謀にもアポなしでテレビ局に突撃。しかも本番中に…まるでテロリストです。(笑)ところが奇跡的に会ってくださって、なんと教育講演会の依頼も快諾いただけました。

その頃、私は自らの結婚式の1か月前に媒酌人の恩師が急逝。それを聞かれた福井さんから職場に電話が…「よければ私が代理で仲人をしましょうか?」。そんな訳で平成元年6月25日、私たち夫婦は関西で最も多忙な有名人ご夫妻の媒酌で、温かく和やかな結婚式を挙行。その後、2005年の春に84歳で天国に旅立たれるまで、親子のようにお付き合いいただきました。「あの時、ダメ元で挑戦してよかった」。生涯でいちばんの素敵な思い出です。そう、私の座右の銘は、「人生何とかなる!」

『捨て色』のヒミツ

ユニクロなどの売り場で、「こんなド派手なシャツを誰が買うんだ」みたいな商品を見たことがありますよね? 私はそんなシーンで、「世の中には、こんな奇抜な服を着る変人もいるんやなぁ~」などと勝手に思い込んでいましたが、先日アパレル業界の人の話を伺って、実はそうではなく、『ある戦略』に基づいて行われているということに気付かされました。

店側は、派手な色は売れないことを知っていながら、「わざと売れにくい色を売れ筋の定番色の中に混ぜる」ことで、「より一層定番商品が売れる」ことが、大きな理由なのだそうです。

売れない色や形の商品をわざと店頭に並べるのはアパレル業界では常識で、このような色を『捨て色』と呼んでいます。服に限らず、人はモノを購入するシーンにおいて、必ず別の商品と比較をして、意思決定を行う心理的習性を持っている…とのこと。

物事が思うようにいかなかったり、テストで点数が取れなかったりしたときに、自暴自棄になって、「自分なんかどうせ、いてもいなくてもよい存在だ」なんて投げやりになってしまった経験はないですか? そんな時は、「今回は捨て色になって、奴らに花を持たせてやったぜ!」なんてつぶやいて、心を落ち着かせることもアリなのかもしれませんね。(^o^;)

「一流人」の条件とは?

今はなき野村克也元監督の座右の銘に、「金を残すは三流、名(業)を残すは二流、人を残すは一流」という有名な言葉があります。長い人生の終わりにその人が何を残すか…ということで、真の人格がわかる。なかなか含蓄のある言葉だと思います。

お世話になっている教材会社社長のコラムに以下のようなフレーズがありました。「私は時々教材の展示会でビジネスホテルに泊まることがあります。以前はホテルを出るときには使った寝間着やスリッパ・タオルなどは無造作に至る所に放置していました。ところがある時、何かの本で『一流の人か否かは,ホテルに泊まった後の部屋の様子を見ればわかる』という文章に出会いました。言われてみれば確かにその通りで,もし私がホテルの清掃スタッフだったら、部屋に入った瞬間、『その人の魂のグレード』のようなものを感じ取ることでしょう。(中略)むしろこのようなところにこそ,その人の人格のレベルが表れるような気がします。」

子どもの頃に祖母によく、「お行儀が悪い!」と言って叱られました。「お行儀」を、英語に訳すと「マナー」とかになるのでしょうが、日本語はそんな浅薄なものではなく、「誰もいないところでの人の立ち振舞」なども含めた、奥深い意味を秘めている…と考えます。

きれいな水に、魚は住めない

ちょっと前のコラムで、「ストレスがある人は、幸せな人」というお話しをしました。日本の養殖魚が天然魚並みに質の良い理由は、漁網にわざと天敵を入れて、あえてストレスを与えるから…という内容です。真珠は、貝に入った異物のおかげでできる産物であるという話も…。

ところでみなさんは、「海」といえばどんな風景が浮かびますか? 日本海の荒波、それとも南太平洋の島々の透き通った海でしょうか? おそらく、「青くて透明(マリンブルー)の海」を浮かべる人が多く、「濃い緑色の海」と答える人は少ないと思います。

日本のおいしい魚の多くは、瀬戸内海のような濃い緑色の海で捕れます。お世辞にもきれいとは言えないこの緑色の海の水は、魚にとって栄養価の高いプランクトン類をたくさん含んでいます。加えて、山地が近い瀬戸内海などは、川から流れてくる豊富なミネラル分にも恵まれ、おいしい魚が育つ条件がそろっている…というワケ。反面、南太平洋のような透き通った海は、「海の砂漠」のようなもの。魚たちにとっては、生きるのが過酷でツラ~い場所だそうです。

人生の中では、きれいなものより汚いものを見る機会が多い。悩みのない人より、悩める人が多い。だからこそ、人はたくましく成長できるのだと思いませんか?

愛情のエッセンス

以前に経営していた塾での話。遠征イベントの帰り道に、隣の市の某大手ハンバーガー店で参加者と食事中に、向かいの席の生徒が唐突に、「先生、ここのハンバーガーおいしくない」と言い出したことがありました。私は思わず、「チェーン店なのだから、味はどこも同じはず」と返しましたが、その子は頑として承知しない。他の生徒まで「確かに、三田店の方がおいしい」などと言い出す始末…。その後、気になって作り方を調べたのですが、やはり全国のどの店も同じマニュアル通りに調理しているらしく、結局、その原因究明は迷宮入りに…。

ところが昨年の上海冬期五輪で、“ロボットが100%調理した選手村の料理がおいしくない”という報道を知って、何か手がかりをつかめたような気がします。その前の年の東京五輪では、日本の人が調理した選手村の料理が世界中の選手から「最高においしい!」と称賛されたのに、レシピに完全忠実にロボットが作った料理は悪評を受けた理由。そして、隣市のハンバーガーがおいしくない理由。それは、一番大事な『愛情のエッセンス』が欠けていたということではないでしょうか? 料理を、科学や素材の力だけで片付けてはいけません。有り合わせの具材でも、『おふくろの味』は最高にうまかった! 教育も同じであると、私は考えています。

未練タラタラの元塾長

一般の方はあまりご存知でないかと思いますが、ここ1~2年は塾業界でのM&A(企業の合併・買収)が急加速しています。私の親しい友人塾長3~4名も自分の会社を高値で売って、塾経営の第一線から退いていきました。特進館学院を始める前の自分なら、たぶん「うらやま悔しいなぁ~」とフェイスブックでつぶやいていたかもしれません。でも、今はそのようには全然思わず、むしろ、「気の毒な人たちやなぁ~」と苦笑してしまいます。

だって、大好きな塾の仕事も、大好きな社員たちも、大好きな生徒たちも、大好きな仲間の塾長たちも、大好きな取引先の人々も、すべて捨てて、手元に残るのは、無機質な●●億円の札束だけ。売った後も、塾長としてずっと塾に残るならアリですが、塾を売って現場を離れてしまったら、もう社員や生徒と会うことすらできなくなります。

にもかかわらず、自らの意思で塾を売って離れたのに塾の仕事を捨てきれず未練タラタラでいつまでも周囲をうろつく元塾長を私は何人も見ています。ちょっと、みっともないです…。

だから、私はそんな生き方をしたくはありません。だって、この仕事は楽しくてやりがいがあって、この業界とともにこれからもずっと歩んでいきたいから…。

対面とオンライン 真の違いは…

コロナ禍でオンラインが標準となりつつありますが、「対面」と「オンライン」は、はたして同じなのでしょうか? ある学者が、対面会話とオンライン会話との、それぞれの脳波の反応を調べた結果、大きな違いがあることがわかりました。対面では、参加者同士の間に“共感”が生じますが、オンラインではそれが生じない…その原因は、次の2つにあるようです。

①コミュニケーションの基本は「相手の目を見る」ことですが、オンラインでは目線が微妙にずれるので、会話に大きな違和感が生まれる。②通信速度が多少ズレてしまうので、脳波は粗い電子的な紙芝居のようにしか反応せず、相互の信頼関係が生まれにくい…とのことです。

また、「オンライン」と「スマホ」で脳への複合的リスクも高く、「携帯・スマホを長く使う生徒ほど成績が悪い」などのデータもあり、「SMSメッセージのやりとりは、学力低下効果が大きい」、「スマホで調べるのと、紙の辞書で調べるのとでは“記憶の再生力”が違う」などの弊害もあるようです。耳に痛い話ですが、私たち学習塾においては、わかりやすく学習指導を行うのとあわせて、『ITツールとの上手な付き合い方の指導』を強化することも、今後重要な取り組みであると考える今日この頃です。

マスクで「ブサイク」になる…

テレビなどを観て、こんな経験はありませんか? ニュース番組の新人アナが、なんとも言えず素人臭くて場違い感満載。「こんな地味な子に、番組が務まるの?」と疑問に感じたのに、半年後に気がついたら随分アカ抜けして、番組が板に付いて輝いている。これは、人間が注目を浴びることによって磨かれる『ホーソン効果』という現象です。スタジオでは、まわりからたくさんの視線や光を日々浴びることになりますから、結果的にどんどん美しく磨かれていくというワケ。

マスクが日常になって3年近くになります。近頃は、マスクを付けた自分の顔が気に入っているとか、マスクを取るのが恥ずかしいという理由で、人前ではマスクを外さない人が増えています。となると、その人のマスクの下は視線や光を浴びず、徐々に「劣化」し、「ブサイク」へ変化していきます。そんなことを何年も続けていると、取り返しのつかない「恐ろしい事態」になってしまうかもしれません。まずは、鏡の前で自分の顔をチェックしてみてください。

海外では、ほとんどマスクをしていないのをご存知ですよね? 政府もようやく、「屋外ではマスクを外してください!」と国民に呼びかけるようになりました。自分の顔に誇りを持って、思い切ってマスクをリリースしましょう! 手遅れになってしまう前に…。(^^ゞ

「村八分」の由来

「村八分」という言葉はご存知でも、その由来はあまり知られていないのではないでしょうか?

村八分は、江戸時代に村のルールを破った者に対して行われた懲らしめで、村の「十分」ある交際の内、「冠・婚礼・出産・病気・建築・水害・年忌・旅行」の「八分」を断絶するという意味から生まれました。そのような状況でも、交際を続けた残りの「二分」は、「葬式・火事」。火事や家族の死は人生最大の難苦であり、この二分までを絶つことは、人道的にも許されなかったのでしょう。

非難炎上を承知の上で申し上げます! 昨今、一部の左翼活動家による安倍元首相の「国葬反対」という大きな声を、テレビ・新聞等のメディアが取り上げて大々的に報道し、その声に世論までが動かされようとしています。憲政史上最長の8年8か月間首相を務めた安倍さんが、暗殺という形で非業の死を遂げたことは事実です。なのに、本人が望んだわけでもない国葬が理由で、もう反論ができない死者に鞭打つような理不尽な攻撃は、この上なく卑怯な振る舞いとしか考えられません。村八分のように、善悪にかかわらず死者の魂には畏怖の念を抱くことが日本の慣わしでした。死者を敬い、葬儀は静かにしめやかに見守るのが日本人の心なのでは。「東京五輪は反対、上海五輪はスルー」の活動も同じ。意味不明だと思うのは私だけでしょうか?

利き手・目・耳・足を活用しよう!

「“利き手”はどちらですか?」と聞かれて悩む人はいないと思います。でも、“効き目”や“利き耳”や“利き足”を聞かれると、ちょっと考えてしまいますよね? ヒトの体は左右対称でなく、体のパーツは左右どちらかが優位になっています。では、その“利き◯”の見つけ方をお話しします。

まずは利き目。両手を重ねてすき間を作り、そこから何か1点を見つめます。そして、片目ずつ交互に閉じたとき、両目で見た時とのズレが少ない方が利き目。次に利き耳。これはざっくり携帯を持つ側の耳です。最後に利き足。リラックスして両足を揃えて立ち、体を前に倒した時に出た足が利き足だとのこと。

英単語や漢字などを、声に出したり紙に書いたりして覚えますよね。紙に書く時、わざと利き手でない方の手で書くと、脳が刺激されて暗記しやすくなるようです。また、テストの問題や論説文などは、利き目を意識して文章を読むと、集中力が増すとも言われています。

このように、自分の体のパーツをうまく活用し、学習に取り組んでみてはいかがですか?あくまで私の個人的見解ですが、もしかして暗記が苦手な人が、短時間で覚えられるようになったり、集中力が持続したりして、すてきな学習効果が表れる…かもしれません。結果はもちろん自己責任です。でも、ぜひお試しください!